< 特典つき!! >michikoのマヤ暦公式LINE

PROFILE mother

michiko

1977年神戸市生まれ北摂阪神間育ち 大阪在住
2006年12月に大阪で生まれた娘と、2009年 4月にアメリカ、ロサンゼルスで生まれた息子の一姫二太郎の母。子どもたちは、ロサンゼルスでは2学年違い、日本では3学年違い実質は2歳4ヶ月差。

子育てを楽しみつつ、旦那との時間も、自分の時間も、家族での時間も大切にしたい。自分の心も家族の心も大切に、ガッチガチに頑張るのではなく、適度に手を抜きつつも、「なかなかいいやん」になる日々を送るべく、トライアル&エラーを繰り返す日々。

口コミをしたり、モニターをさせていただくものは、一旦、「私」というフィルターを通して、「嘘をつかなくてすむもの」しか、ご紹介していません。
自腹だろうが、提供していただいたものだろうが、実際にしっかり試して、お伝えしています。(だから、めっちゃオススメしたいときは、めっちゃしつこい)

娘のこと

娘は不妊治療を続けて、治療をあきらめてお休みをした時に授かりました。初めて心臓が動くのを確認できた時の喜びは、忘れられません。ツワリもなく、快適な妊婦生活でしたが、予定日を過ぎても出てこず、なんとか自然分娩だったものの、出産にはほぼ23時間かかり、後陣痛もひどくて、私はヘロヘロになりました・・・。
ちなみに、最初は、母乳の出が悪かったので、3ヶ月くらいまでは粉ミルクと混合で育てました。可愛い可愛い姫ですが、2歳〜6歳までの「物心つく期間」をアメリカで育ったせいか、不思議ちゃん、自由人、天然という要素をたっぷりもっています。
目下、思春期真っ只中。子育て第2章に突入中。

娘の経歴
2009年8月 ロサンゼルスにて日系幼稚園のサマースクールに入園
2009年9月 別の日系幼稚園に正式に入園
2010年9月 現地のプライベートプリスクールに週2日入園(日系3日、現地校2日)
2011年6月 日系幼稚園卒園
2011年9月 現地のプライベートプリスクールに週5日で登園 土曜日は日本語学校
2012年6月 現地プリ修了
2012年9月 現地のパブリックキンダーに入学 日本語学校は継続
2013年1月 帰国後 日本の私立幼稚園に3学期の2ヶ月間だけ通う
2013年4月 大阪の公立小学校に入学
2019年4月 大阪の公立中学校に入学
2022年4月 大阪の公立高校に入学

習い事
ベビーマッサージ、ベビーサインに始まり、バレエ、チア、ピアノ、幼児教室、かきかた、アート、空手、日本舞踊をアメリカで、日本帰国後は、幼児教室、スイミング、歌とダンスの教室、体操教室、英会話、そろばん、テニス、習字を習ってきました。
むいてないなと感じるものもあり、最終的にある程度までした(している)のはスイミング、英会話、そろばん、習字の4つです。
中学生では、ぱんだちゃんのおうち学校、塾、英会話。そして、部活動はテニス部(軟式しかなかったため、軟式テニス。)、そして生徒会。
高校では、バレーボール部のマネージャーと、文藝文、写真部、放送部を兼部しています。

息子のこと

息子は、二人目不妊も考えて、ちょっと早めに・・・と思ったところ、思いがけずあっさりと授かり(娘のときとはえらい違い)、あれよあれよと大きくなりました。
まさかそんなにすぐに授かると思っていなかったため、当時は、某テレビ番組の素人レギュラーをさせていただいていた真っ最中。果たして続けられるかなあ、どうかなあと思っていた矢先、旦那の転勤が決まり、テレビのお仕事終了、息子の出産はアメリカで・・・となりました。
娘を出産したときの苦労を考え、アメリカは入院期間も短いし、せっかくなら痛くない方法で・・・と息子は、計画出産ではありませんが、無痛分娩で出産。
娘のときとは違い、母乳の出もよく、息子がフォーミュラ(液体ミルク)を嫌がったので、彼はいわゆる完全母乳で育ちました。

息子の経歴
2011年9月 日系幼稚園入園
2013年4月 日本の私立幼稚園入園
2016年4月 日本の公立小学校入学
2022年4月 日本の公立中学校入学

習い事
幼児教室、英会話、かきかた、体操教室、スイミング、サッカー、そろばん
見事に体育に偏っております。
そして、彼はほぼ継続。なぜなら、本人がイヤというものは、体験すらも嫌がるからですが、小学校高学年になり異変が起きました。
小学校では、お勉強はそろばん、英会話。あとはサッカー、体操教室、テニスと、芸術系は相変わらずゼロ・・・。
中学生になり、部活をサッカー部にしたことで、お勉強は英会話と数学の塾だけになりました。中学2年生から社会も追加!

ご覧の通り・・・

わが家の子どもたちが通ってきた道は大きく違います。
日本生まれですが、物心つく頃を激動(?)の環境で育った娘、アメリカ生まれですが、のほほんと日本語環境で育ってきた息子。
学校の先生にも驚かれるキャラクターの違いですが、まあまあ、楽しいんじゃないかなと思っています。
そして、私自身は、娘の現地校時代は英語で深い話をするのが難しいため、保護者としてはボランティア程度のことしかしていませんでした。が、日本に帰国後、いきなりPTAの洗礼を受けました。

幼稚園では、クラス委員を1回、PTA執行部を書記として1回。
小学校でも、クラス委員と地区委員を1回ずつ、PTA執行部を副会長として1回、地域の分科会を1回。
中学校では地域委員を1回。
高校でもクラス委員から、現在は副会長です。

PTAもPTA活動も千差万別・十人十色
メリット、デメリット、要不要論含めブログで私の感じるところをご紹介していきます。